[自発性と思いやり]

「自発性」の獲得とは、将来大人になったとき日本という資本主義経済の中で、働く場を見つけ、生産活動を行い、収入を得るエネルギーを蓄える力と言えます。一言でいうと「生活力」です。子どもたちはそれを保育の中で、遊びながら、学んでいるのです。好きな遊びに時間を忘れて集中したり、失敗を重ねる中で今までできなかったことが、できるようになったりします。ぱぱさんはこの「自発性」を育てるポイントのひとつは、大人の子どもへのアイコンタクト、「見つめ返し」にあるように感じています。

でも、「自発性」だけでは問題が生じてしまうのです。それは、「自分だけ良ければいい」という未解決点が残ってしまうことです。こんな例を出すと当事者には怒られるかもしれませんが、よその国では、「自分だけ良ければいい」場面が多いみたいですよ。順番を待つという概念がありませんからバスや電車に乗るときや、新しい商品を店頭で購入するときなど、並んで待つということはなく、早い者勝ちで、弱肉強食のそのものです。また、自分の力で経済的に自立できない人に対して、「努力が足りない方が悪いのだから仕方ない」と考え、憐れむ気持ちなどありません。

日本では、自分だけ良ければいいという考え方をもつ人や、憐れむ気持ちが無い人のことを、
「さもしい」という言葉を使って忌み嫌ってきたという伝統を持っているのです。これは素晴らしいことです。この伝統を次世代へ受け渡すことが大切なのではないかと考えています。

さもしくない生き方のことを現代の平易な言葉で置き換えると、「思いやりの心をもつ」となります。小さい子どもの時に思いやりの心を獲得することが重要です。思いやりは大きく分けて二つ、一つは母親からの無条件の愛、もう一つは決まりを守ることの大切さを学ぶ、ことによって獲得していくのではないかと考えられます。さて、当保育室の中では「けんか5か条」というものがあります。
(1)大きい者が小さい者をぶってはいかん。
(2)大勢で一人をぶってはいかん。
(3)男が女をぶってはいかん。
(4)武器を手にしてぶってはいかん。
(5)相手が泣いたり謝ったらすぐにやめなくてはいかん。
あのベストセラー書の、藤原雅彦著「国家の品格」からのパクリです。これらは理屈で考えたらいくらでも間違いを指摘できますね。例えば、世の中にはぶん殴りたくなるような小さい者はたくさんいると思うのです。しかし、ぶってはいかんのですね。理屈ではなく「ならんものはならん」の世界です。これを守る人は平和を愛する素敵な人だと思います。
きれいなお花

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