[やまおやじ]

ぱぱさんは子どもの頃からクヌギの木が大好きです。元々カブトムシが好きでした。カブトムシはクヌギの木から出てくる樹液が大好物なので、クヌギの木も大好きになったという次第です。

で、そのクヌギですが、これがずいぶん強い木で、人がチョキンと切ってしまい、いわゆる「切り株」になってしまっても、条件が揃えば、生き続けるのだそうです。切り口の周りからニョキニョキと芽が出てきて、やがて立派な葉を茂らせます。切り口の中心に穴が開いてしまっても周りの皮の部分が立派に変化し、穴があっても大丈夫になります。やがて風雪や経年変化による「しわやよじれやこぶ」も出てきますが、これが実に「野性味あふれる味」をかもしだすようになってきます。

周りの切られていない、傷の無いクヌギに比べて、圧倒的な存在感をもつ、こういう状態のクヌギのことを、一部の人は親しみを込めて「やまおやじ」と呼び、愛するのだそうです。「やまおやじ」いい名前ですね。凛と佇むやまおやじを見ていると、「失敗という人生(木性?)はない」のではと思います。失敗でへこんでしまっても、そこから立ち直る力があればいいのですね。

「苦労の無いクヌギよりも苦労したクヌギの方が美しい」これは人間にも当てはまるのではないかと考えています。子どもなどは、もしかしたら苦労をするために生きているのではないかな?とも思いませんか。転ばなくてもよいところで転び、こぼさなくてもよいところでこぼします。言わなくていいことを言って怒られ、言って欲しいところで黙っているので怒られています。今はやめてという時に限って病気になり、治ったと思ってもまたすぐに別の病気に罹ります。とても波乱万丈な人生です。

大人だってそうです。普通の生活をするために、私たちはどれほど苦労をしていることか。美しいです。

どうやら一番大切なことは、「立ち直る力」があるかどうか。のように思うのです。どうしたら「立ち直る力」を得ることができるのでしょうか?それは、言い古されているかもしれませんが、「愛を受けることしかない」と思います。それも「成功や失敗に左右されない、変わらない愛」を受けることです。

実は、母親の子どもへの愛は、「成功や失敗に左右されない、変わらない愛」そのものだと思います。表面的には褒めたり怒ったり、喜怒哀楽はありますが、根底にあるのは「わが子に対する無条件の、与える愛」ではありませんか。お母さんが我が子の応援団長であれば、子どもはどんな困難にも負けないでしょう。かえっていろいろな労苦に鍛えられて、将来、やまおやじのような存在感を持つ魅力的な人になることでしょう。

ところで、お母さんは子どもに愛を与えるだけでは空っぽになってしまいます。そこで、お父さん(もしくは、お父さんに代わる存在の人)の存在が大切になるのですよね。お父さんがお母さんを、うわべでは色々あるでしょうが、根底の部分で無条件に愛していれば、お母さんはそれを感じとり幸せになれます。お母さんが幸せなら子どもも幸せになれます。

お父さま、「やまおやじ」に倣ってしたたかにいきましょうよ。そうすればお母さんも子どももみんな幸せになれるのです。ファイト!各ご家庭のかけがいの無い「おやじさま」
きれいなお花

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