[愛されている心]

さくらそう保育園は園児12名の小さな保育園なので、指しゃぶりやひっかきや噛みつきがあってもみんなで考えます。1人では悩みません。

ぱぱさんもままさんも、過去に幼稚園で担任をしていたときがありました。それは大変でした。「子どもの問題行動はクラス担任の指導が悪いから発生するのだ」なぜかそのような考え方があったのでした。そうなると、指しゃぶりやひっかきや噛みつきは悪いことで、即刻やめさせなければならないという方向に動かざるを得ませんね。

でも今やそのような呪縛から離れることができました。問題行動と考えること自体が愚であり、誰もが通る、「必要な道」なのだからです。指しゃぶりやひっかきや噛みつきは、安心を求め、愛を確かめる過程で表出する自然なもので、広い心で受け止めてやれれば、必ず消失するのです。ですから出てきたときには喜んでやります。「保育園の中で自分を出せている」と。保護者の皆さまにも広い心で受け止めるようご協力をお願いしたいところです。

私たち人間は、数えの3歳くらいまでは、人に好かれようとか 相手に合そうとか、思わずに 本能のままに生きていました。でも、愛されて生きていました。無条件に愛されていたのです。…私たちの「存在」は誰も無条件に愛される「存在」であるべきなのだと思います。

それが、数えの4歳ぐらいになると、子どもながらに 周りに嫌われない様に愛されるために、いい子のふりをしたり 周りの機嫌をとったりして 生きるようになるのですが、このころから無条件の愛は条件付の愛に移行し、教育がはじまります。もちろん、教育は必要です。しかし、この教育が教育となるためには、それ以前の、無条件の愛を受けるという土台が必要です。

実は、大人になっても人が最上の幸福感を感じる時は、「愛されている」という実感がある時です。私たちは、この「愛されている」という実感が必要な存在です。

「愛されている」心を育てるために、さくらそう保育園で行っていることのひとつは、「分かればいいよ、おりこう」と最後は褒めることです。さらにもう一歩踏み込んで、「いつか分かるはず、おりこう」と結果にかかわらず最後は褒めることです。ここに無条件の愛があります。子どもも大人もこんな世界で生活できたらいいなあ。

北風ではなく太陽の心で向き合うところに、指しゃぶりやひっかきや噛みつきや怒り虫や泣き虫や我がままや排せつなどを卒業するポイントがあるように思います。
お花畑
ニッコウキスゲ

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