[教え諭す保育]
子どもたちに向き合っている保育士の姿は美しいと思います。
012歳の子どもは、まだ自分のことしか見えていませんので、お友だちが持っているおもちゃを取ったり、隣のお友だちを押したりといったことを、日常的に行っています。誰もが程度の差こそあれ行っています。「自分の思いが出てきた」とうれしくなる半面、エキサイトして、号泣したり、激怒して投げつけたり、かみついたりという方法を取ることも多く、保育者は対応に追われています。
保育士たちは、その一つひとつを逃さずとらえて、子どもと同じ高さになり、目を合わせて、子どもに理解できるような言葉を使って教え諭しています。「○○ちゃん押されて痛かったよ。やめてね」「危ないから投げないでね」「かんだら痛いから、かまないでね」
012歳の子どもにとってはこういった簡単な言葉も理解困難な場合が多いです。しかし、理解できるできないに関わらず、教え諭しています。「理解できるようになってから話したのでは遅い」ということを分っているからです。
また、「今は理解できなくても、近い将来きっと分ってくれる」と向き合う子どもたちを信じて待っている保育士の姿もあります。「みえないものを大切にする」保育の一番大切な部分です。実際、少しずつ、少しずつですが、いざこざの頻度が少なくなっている今日この頃です。
さて、教え諭すということの反対は、大人目線からの否定です。大人目線からの否定とは「ダメ」という言葉を乱用することです。この言葉を封印して子どもと生活しようとするだけでも保育は美しくなっていきます。
こういったことを考えながら、遊びを通して主体性と思いやりを育てていく当園の保育を誇りたいと思います。