[人生は後半になればなるほど]
私は幸せ者です。それは、さくらそう・第2さくらそう保育園に集まるお子さん、ご家族の方々、スタッフという、大切な人たちがいることによるような気がしています。また、お世話になっている先生、友人、自分が所属する集りの仲間たち、そして何より愛しているあの方(あんまり突っ込まないでね!)がいることによるような気がしています。
幸せが何かというのは人によって意見が違っていて当たり前なので、別に決まった正解があるわけではないですね。ですから、弱肉強食の人間社会の中では、「なんだかんだいっても自分が大事」「自分が幸せだったらそれでいい」という人がいてもおかしくありません。若い人であれば、「自分探しの旅にでかける」というのは意味があるでしょう。
でも若くない私に、「自分探しの旅」はちょっとですよね(笑)。私は、幸せを求めようとして自分のために買い物しても、自分のために美味しいものを食べても、それほど楽しくならないし、一時は楽しいかもしれませんが、幸せの気持ちは長続きしないことに、気付いています。なんか面白くありません。
ところが逆に、「自分のためというよりは、私の知っているあの方々の笑顔を見るために買い物をしよう」とか「自分のためというよりは、あの人と一緒に食事をするためにレストランを予約しよう」とか考えて動くとき、私という人間は幸せになり、動きが軽やかになります。不思議ですね。
有名な欧米TVプレゼン番組「TED」のなかで、誰かが、「どんなに豪華な屋敷に住んで、どんなに高級な車に乗っても、それはその人の幸せの20%を満たすに過ぎない。どんなにお金持ちでも、残りの80%は幸せで満たすことはできない」と語っていたことを思い出しました。
こんなことを考えるのは、年のせいでしょうか?でも、私は年を取ることの良さにちょっとだけ気付きました。それは、「この人から学びたい」とか「この人の為になりたい」とかいう、「大切な人たち」は年を重ねるたびに増えていくということです。ということは、もしかしたら・・・人生は後半になればなるほど幸せになれるのかもしれません。
大切な人たちと共に、幸せな人生を歩んでいけたらと思います。今回は自分のことばかりですみませんでした<(_ _)>
写真は2017年4月15日、埼玉県田島が原のサクラソウ公園に咲いていたさくらそうです