[割れ目に咲く花]
2018年の4月はポカポカ陽気でした。散歩中に見られるのですが、アスファルトに割れ目を作る形で、タンポポ、スミレの仲間、タイトゴメの仲間、ナガミヒナゲシが美しい花を咲かせていました。コンクリートの塀の割れ目からは、ニガナと見られる黄色い花がたくましく咲いていました。
「都会のアスファルトやコンクリートに咲く」というと、あの「ド根性大根」を思いだしますが、いずれにせよ、こんな所にポツンと咲くわけですから、けなげなイメージを持ち、なんとなく応援したくもなりますね。
ところが、けっこうちゃっかりした植物のようでもあります。
アスファルトで覆われた地面は、日照不足に悩むことがなく、アスファルトの下の地面は、アスファルトによって蓋をされているため、乾くことがないのだそうです。いい場所ではありませんか。
一部の石灰岩質の土壌に生育する植物にとって、アルカリ性のコンクリートで固められた土地は、その自生地とよく似ています。コンクリートがあれば、そこは楽園となるということですね。割れ目は物理的に見て水が集まりやすいので、一石二鳥です。いい場所ではありませんか。
我々が目にする雑草一般に言えることですが、彼らは日照不足に弱く、ほかの植物の陰になるような場所、たとえば森林の中などでは生育できないことが多いそうです。人間から見て厳しい環境に生える植物というのは、ほかの植物との競争に意外と弱いために、あえて日光を奪い合う競争相手の少ない環境に生育するわけです。コンクリートやアスファルトで固められた土地というのは、人間の目には厳しい環境に写りますが、競争に弱い植物にとっては楽園のような場所なのかもしれません。
いいところに根を張ったね。目の付け所がシャープだね。ということですね。
さくらそうの子どもたちは、将来、どういった職業に就くのでしょうか?有名高校、有名大学、一流企業といった、いわゆる王道に進むのでしょうか?それとも、ニッチな世界で花を開かせるのでしょうか?高度成長期なら前者もありえたのでしょうが、今の時代では、古い考え方のような気がしています。
所詮、どんな職業も、「人類全体の営みの中から見れば、全てニッチといえるのではないか?」と思うのです。そんなニッチな世界で花を開かせるために必要な能力は、「主体性」の獲得だと考えています。主体性は、小学校以降の教育ではなく、0〜3歳児の教育で獲得されるようです。補足しますと、「主体性の獲得には、0〜3歳児の間の、ご家族の愛情と保育園での生活が要となる」でしょう。
ニッチな世界で花を開かせることの意味について、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」(2012年幻冬舎)の中では、「雨の日、風の日、どうしても咲けないときは、根を下へ下へと伸ばしましょう」とあります。含蓄を含んだ一冊だと思います。
根を下へ下へと伸ばすことに思い当たる頭を育てることと、主体性を獲得することは、イコールだと思います。