[お友だちが集まると]
開園して3か月、子どもたちの様子もだいぶ落ち着いてきました。2〜3歳のお友だち(め・はっぱ組)も、スタッフが援助しなくてもお友だち同士で遊べるようになってきました。
興味深いことがありました。お友だち3人集まると意気投合し、もっと深く関わろうと動きます。その時、なぜか3人のうちの1人だけ仲間はずれにして、2人の世界で遊ぼうとする場面が多いように思うのです。お友だち4人集まると意気投合し、もっと深く関わろうと動きます。その時、なぜか4人のうちの1人だけ仲間はずれにして、3人の世界で遊ぼうとする場面が多いように思うのです。
外された一人は心の底から寂しがります。外れなかった子たちはその外された一人の悲しむ様子を見て、これ見よがしに抱き合ったりして・・・逆に喜んでいるようにも見えます。人の不幸は蜜の味でしょうか。
スタッフ曰く「女の子の嫌なところがでてる」だそうですが、男の世界も同じようなものですよ。それにしても、人間の持つダークな部分を、2歳児で備えるとは、その育ちに逆に感心してしまいます。
ところで、保育室のおもちゃの価値について、自分だけでなくお友だちも欲しがることが大切で、その欲しがり度合いが高ければ高いほど、おもちゃの価値は上がるようです。一人自由に遊べる状態ではおもちゃの価値は低く、だれかが狙っていると上がるのです。取り合ってそのだれかが負けて泣いたりすると、結果として価値は頂点に達したりします。関係性で生きる人間の性でしょうか。
話し戻って、一人だけ仲間はずれにしてしまう場面で、「仲間外れは悲しいからやめようね」と提案しても効果は薄いと思います。誰か一人がいつも仲間外れになるのでなく、園児全員が均等に外されて、「それぞれが仲間はずれを味わう」ことが大切なのかもしれません。そんな環境を提供できたらと思います。
神さまは私たち人間に対し、独りぼっちを味わうという、人の痛みが分かる貴重な経験を得させる近道として、あえて無意識に一人を仲間外れにしてしまう性質を与えたのかもしれません。みんなに独りぼっちを味わっていただき、その経験から、「独りだけ仲間外れにするって悲しいよね!」と勇気をもって言える人間になってもらいたいなあ。